ピュアで行こう
本来、人は何にも持ってないっていう意味の禅語です
人というのは本来、ひとつの邪心も持たずピュアな心で生まれてきます
ところが大きくなるにつれて、執着やこだわりや偏見や下心がついてピュアな心ではいられなくなってきてしまいます
だからといってピュアでいるために毎日努力しようとすれば、それもまたすでにピュアでいることに執着してるってことになっちゃいます
例えば、女の子にモテようとする邪心は禁物だからといって、モテようとしないでおこうとしてもそれもまた邪心になってしまうのね
つまり肝心なのはモテようとしない事、そしてモテようとしない事さえしない事
それが本来無一物の姿勢です。
なぜなら本来人はなにもモッテないのだから・・・・
え、つまり”持ってない”と”モテない”をかけて・・・・